「深い河」を読み終わりました。
遠藤周作の「深い河」を読み終わりました。
遠藤周作ものは、「沈黙」ぐらいしか読んだ事がありませんでしたが、この「深い河」も非常に心にのこる作品でした。
人間はいろいろなものを背負って生きていくんですね。
「深い河」を読み終わりました。
あらすじ
あらすじは
それぞれの業を背負う現代の日本人5人が、それぞれの理由でインドへの旅行を決意し、ツアーに参加する。聖なる河ガンジスは、すべての人間の業を包み込む。5人はそれぞれに、人には容易に理解できない深い業を持っていたが、偉大なガンジスにより人生の何かを感じることが出来た。
インド人のすべてを飲み込み流してくれる偉大な河、ガンジス。日本人にとっては日常生活から遠のいてしまった「死」が、ガンジスのほとりでは現在でも生々しくうつし出される。ガンジスは実は土着的なヒンドゥー教徒のみに重要なのではなく、どんな宗教に属しようが、あるいはどの宗教にも属しまいが、あらゆる人間のもつ複雑な人生のすべてを包み流してくれる存在である。
(Wikipedia)
てな感じです。
理解されない苦しみ
メインの登場人物は5人。
それぞれの人物がそれぞれ別の苦しみを抱えながらインドを訪れ、それぞれがそれぞれに答えを見つけるという話です。
いずれの登場人物が抱えているのが、
他人では到底理解できない苦しみ
です。
それらを抱えた登場人物がインドという土地を訪れ、何か今までとは別の事を感じるというのが物語のメインテーマです。
聖なるものときれいなものは違う
詳しい小説の解説なんかは僕ではできないので、書評なんかをどこかで読んでもらえばいいと思うんですが、
僕が好きな一説は
聖なるものときれいなものは違う
ということです。
劇中に日本人の若いカップルが出てきて、ガンジス川の汚さに関して文句をいうシーンがあるのですが、そのカップルに対してツアーガイドが言い放つ一言です。
非常に考えさせられる言葉ですよね。
日本人は「聖なる」という言葉を「きれい」と混同させがちです。
ただ、実際に生きていくという事はきれいなことも汚いこともあるわけで、それらをすべて受け止めてくれるのがガンジス川であると。だからガンジス川は聖なる河なのだということです。
清濁併せ呑むという言葉がありますが、実際に多くの人から尊敬を得たりする人はきれいですごい人よりも清濁合わせ飲める人なのだと最近なぜか思います。
インドという国
インドは1度訪れたことがあるのですが、非常に不思議な国でした。
それは人間のすべてが見られるからです。
あれだけ人間のきれいなところから汚いところまで見れる国はインドぐらいじゃないでしょうか。
機会があれば、是非もう一度訪れて半年ぐらいゆっくり時間をかけて回ってみたい国ですね。
最後に
インドを舞台にしたいい小説だと思います。
人生をゆっくり考えたい人はこの小説を読んでみてはいかがでしょうか。
終わり