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曽野綾子さんの記事を読んで考えてみたことを綴ってみた。

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曽野綾子さんの記事がスゴく叩かれまくっていたので、一回読んでみました。

 

 

まあ、

  • 異人種、異文化の人達が一緒に住む

ことがスゴく大変な事に関しては非常に同感です。

 

僕はメキシコに留学していたときは、メキシコ人だけの寮に住んでいましたし、愛知県でスペイン語を勉強していた関係で、ブラジル人やペルー人が多い学校にボランティアに行っていました。

文化や民族が違う人たちと一緒に暮らしたり、そのコミニティーの中に入っていくという経験は日本に住んでいる90%ぐらいの人よりは多いと思っています。

 

確かに大変ですよね。異なる人達が一緒に暮らすのって。

僕が留学していたときには、ルームメートが良く朝から爆音でレゲトンをかけて踊りまくっていましたし、日本の学校にペルー人ヘルプボランティアに行っていた時も、「先生、どうしてピアスをしたら駄目なの?」「どうして髪染めたら駄目なの?」みたいな事を聞かれまくってました。

よく問題になっていたのは、ゴミ出しや騒音みたいな感じですかね。

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非常に大変なことって非常によくわかります。ぶっちゃけ同じ日本人だけで住んだ方が楽なんです。僕も結構変わっている方とは言われますが、それでも同じ日本人同士で暮らしていく方が、遥かに楽だと思います。

おそらく曽野さんも南アフリカで、「別の人種が一緒に住むのって大変なんだなあ」ということを見られたので、今回のようなコラムを書くのに至ったのだと思います。

 

 

「曽野綾子さんだけ隔離すればいい」みたいな極端な事を書く人もいますが、こんな感じの人程、色々なバックグラウンドの人達で一緒に住んだりすると、「隔離しろ」とかいいそうな感じの人だと思います。フレキシビリティーがないので。

 

曽野さんの記事のもつ「一緒に住むのってぶっちゃけ難しいぜ!」という部分に関しては非常に共感できるけれども、住むところを分けるという部分にはちょっと賛成できないです。居住区を分けると、長期的に見ると悪い点や損する点の方が多いと思います。

 

居住区を分ける事で起る事や、損する点

差別を助長する

アパルトヘイトもありますが、日本にも江戸時代は身分制度や階級制度がきちっとしていて、それを元に住む場所なんかが決められていました。

東京に来ると、こういうのを学ぶ機会も少ないかと思いますが、今でも地方に行くと普通に道徳の授業で勉強しますし、同じクラスにも昔はそういう身分の出身だった、という人が少なからずいるものです。

 

住む場所というのはその人の印象を左右し、人生を左右するものだと思っています。人間は住む場所によって人を判断します。住んでいる場所のステレオタイプというのは必ずあるもので、ライトなものだと最近ちょっと話題になった

【衝撃】住んでるだけで女子にモテる東京23区ランキングベスト10

http://buzz-plus.com/article/2015/02/08/tokyo23-mote/

こんな感じのランキングもあります笑。場所が印象に与える影響力は半端ないです。

 

ですので、人種ごとに住む場所を決めてしまうと、ある意味で「その地区の印象」というものが形成されてしまい、その土地で住んでいることだけでスクリーニングをされたり、間違った印象をもたれたりする事が多くなってしまうのではないでしょうか。

  • あいつはあの地区から来たからおそらくああだろう
  • あいつはあの地区出身だから仕事を与えない
  • あいつはあの地区の出身だから嘘つきだ
  • あの地区の出身の奴らとは友達に成らない

など、住む土地が決められていた時代にはこういうことは普通に起っていたと思います。僕はこれがいいとはとても思えません。

住む場所の自由は絶対に与えられるべきだとおもいます。

 

前提を疑ったり、国際的に通用するコミニケーションスキルを磨く機会を奪うことになる

異なる人達と一緒に住むということは、スゴく高いコミニケーションスキルが要求されます。

僕は今まで結婚も同棲もした事はないですが笑、友達の話を聞くと、我慢すべきところは我慢すべきだし、受け入れられないところに関してはちゃんと妥協点を見つけるというのが大事らしいです。

居住に関しても、同じではないでしょうか?そもそもが違うんですからちゃんとロジカルに話し合って妥協点を探っていくしかないと思います。

居住を共にするとその事がよくわかります。

「まあ、分かるよね」「空気を読む」といった、日本独特の習慣では対応できない先に、コミニケーション能力を磨く大きなチャンスがあるとおもいます。

 

また、前提を疑ったり、ロジカルに考える習慣も、異なる人種の人達と暮らしていくことで身に付くものの一つだと思っています。

大学時代、メキシコ人と一緒に住む事で僕は「世界には異なった思考回路の人達がいる」ということを肌感覚で覚えることができました。

同じ事象に直面したとしても、アジア人の思考と白人、黒人の思考は異なるのです。

学校でペルー人向けにボランティアをしていたときも、

  • どうして学校は途中で帰ったら駄目なの?
  • どうしてピアスはあけちゃ駄目なの?
  • どうしてシャーペンは使ったら駄目なの?
  • どうして学校で音楽を聞いたら駄目なの?
  • どうして学校にiphoneを持ってきたら駄目なの?

といった質問をたくさん受けました。

この質問をロジカルに納得できる説明をできる先生が全国に何人ぐらいいるでしょうか?

おそらくほとんどの先生は、

  • ルールだから

という一言で片付け、生徒も一旦はそれで納得するでしょう。

 

ただ、世界にはそれでは納得できない人達も多く存在します。

特に移住して来た人達にとっては、日本の学校でNGだったことは本国ではOKだったらしく、こういう日本独自のよく分からないルールとかを説明するのに非常に苦労しましたし、「ぶっちゃけこのルール必要?」と思ったりもしました。

生活を共にすることは、ある意味納得感のあることが求められますので、こういった曖昧にしてきた部分などに疑問を持てるいい機会に成ったと思っています。

 

最後に

以上2点から、人種によって居住区を分ける事には反対をします。

まあ、違う人種で住む事は非常に難しいですし、正直イラっとすることも多いですが、そこから目をそらす事の出来る時代でもないので、納得できるルールを決めたら、後は一緒に住んでみてはどうでしょうか?

そういうのを楽しめる人達に面白い未来があるんだとおもいます。

終わり

 

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