親父と意思疎通をとるよりも外国人と意思疎通する方が簡単な件

最近親と話す事が多いのですが、意思の疎通がなかなかとれません。
いろいろな国に旅行をしたり、留学をしたりしながら、それなりに色々な価値観の人達と話してきたつもりですが、親父との価値観の相違は大きく、外国人よりも意思の疎通が難しいと感じるときがあります。
理由を上げてみたので、書いてみる事にします。
親父と意思疎通をとるよりも外国人と意思疎通する方が簡単な件
①幸せの尺度が違う
戦後の高度成長期に生まれ育った父親と、失われた20年に生まれ育った僕とでは、全く価値観が違いました。
特に大きいのが、「所有」に関する考え方です。
ものをシェアしたり、シェアハウスに対して特に違和感がない僕に対して、「出来るだけ大きなパーソナルスペース」を持つ事が幸せと考える父親とはたまに話しがあいません。
高度成長時代の人はやはりどこか「所有に対する欲やあこがれ」みたいなものが僕らよりも大きい気がします。
より多くのものを手に入れることが幸せだと考える父親と、モノはほとんどいらないと考える僕とではたまに話が会わない時があります。
「シェアハウスに住む」なんて言ってしまうと、「恵まれていない」と考えてしまうのが高度成長期の世代なのかもしれません。
いろいろなモノを買って幸せになる父親と、色々なモノを手放して幸せになっていく僕との間でいつも口論になります。
②時間の尺度が違う
時間に関しての尺度も若干違います。
「石の上にも3年」「10年は続けなさい」という形で言われる事が多かったです。特に環境を変える事に関しては非常に消極的でした。
それはなにか、「続けていれば自動的に年収が上がって、幸せになれるから」とでも言っているような気がしました。
僕らは違います。世代的に「同じ場所にずっといて、そこから動けなくなってしまった人を見てきた世代」でした。
だから僕は、「一つのところでずっと頑張るぐらいなら、スキルを身につけて、自ら動いた方がいい」と考えるタイプになりました。
③テクノロジーに大しての考え方が違う
テクノロジーに関する考え方も違います。
インターネットや通信に関して「遊びで使うもの」という考えの父親と「ライフライン」と考える僕との間でいつも口論になります。
インターネットはゲーム程度のモノだと思っている父親と、教育や情報収集等々すべてのライフラインをネット上に持っている僕。
これを一から説明するのは至難の技です。
最後に
父親との会話にかなりのギャップを感じるようになりました。
自分はまだ子どもはいませんが、こういうギャップみたいなものは必ず存在するんだろうなと思いました。
時代によって価値観は大きく変わります。成功体験をいち早く捨てて、いつでも柔軟に態度をかえられるようにするのがベターだなと思う日々です。